笹井君から駄文による紹介を受けました宮原です。なんともまあ、あんな滑り散らかしたブログを書きながらよく人のことを面白くないと言えたものですね。本当に腹が立ちました。腹が立ちすぎて思わずiPhoneの画面をわってしまいました。
ま、嘘なんですけどね。
いつも読んでくださってる方々、はじめまして、五月に京大ラグビー部に入部した宮原です。灘高校出身で、現在は京都大学医学部医学科に在籍しています。
これを読んでいる人には、京大を志す高校生もいるだろうと思ったので、ここでは僕が京大医学部を目指すこととなった経緯を、少々長くなりますが書こうと思います。バカみたいな話なのですが最後まで読んでもらえると嬉しいです。
まず、僕にはヤスとミキという二人の幼馴染がいます。
近所のヤスとは保育園からずっと一緒で、いつも二人で遊ぶ仲でしたが、彼は小さい時から運動が得意でずっとクラスの人気者でした。
小学校2年生のある朝、いつものようにヤスと二人で登校すると、クラスに転校してきたミキがいました。人見知りだったミキが、その日、帰りのチャイムが鳴って一人で帰ろうとしているのをみたヤスが彼女に一緒に帰ろうと声をかけたのをきっかけに僕たちは仲良くなりました。
その時からミキはずっとヤスに恋していました。そして僕はというと、毎日のようにヤスとのことを僕に話すミキの一途な姿に惹かれていました。
ヤスは小学校からサッカーを始め、もともと運動のできた彼はどんどん周りを置き去りにしていったのですが、6年生になって彼がユースチームのキャプテンになった頃、僕はミキの話で二人が付き合い始めたことを知りました。
中学ではミキはサッカー部マネとなり、その影響もあってか、ヤスの勢いはさらに増し、彼は県選抜に選ばれるまでとなっていました。しかし中学3年になったときに、彼は選手生命を脅かすほどの怪我を負ったのです。ヤスは当然ながら、ミキまでもが悲しみ絶望していました。
そんな彼らを救ったのが、当時の彼の主治医だった整形外科医の先生でした。手術がとても上手くいき、ヤスは見事に復活を果たしたのでした。
それとともに元気になっていったミキを見てホッとしていた僕に、ある日ミキがこう言ったのです。「ミヤは成績もいいし、スポーツも好きだからきっとあの先生みたいになって、ずっとヤスのことを支えられるよね。そしたらヤスはきっと日本代表にだってなれちゃうよ。」我ながら単純ですが、こうして、当時好きだった幼馴染のみた、その彼氏でもあり僕の幼馴染でもあるヤスの夢のために、僕は最高の腕をもった医師になると決め、やがて京大を志望したのでしたとさ。
ま、ぜんぶ嘘なんですけどね。
本当の話、理由なんて問題の相性がよかったからってくらいです。あとはノリです。
では、次回のブログはパーソナルスペースがやたらと近い同期の渡辺君です。
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ブログで滑るよりマシです。
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