園田から紹介を受けましたエコール・ポリテクニークに交換留学している才田です。物理を学びに行くつもりでしたが、なんだかんだラグビー部に入部してしまいました。今回のブログでは、そのエコール・ポリテクニークのラグビー部のことについて書こうと思います。
【第一章】
フランスのエリートが集う“名門”エコール・ポリテクニーク
エコール・ポリテクニークは、パリ高等師範学校(ENS)に並んでフランストップの学校です。学生は皆、高校を卒業した後、プレパという準備学校で2年間みっちり学部範囲の物理と数学を勉強した後、競争率の高い厳しい試験を潜り抜けて入学します。卒業生には、アンペール、ナビエ、ベクレル、ポアンカレ、クラペイロン、フレネル、コーシー、コリオリ、ポアソン、カルノー ...と言った、名だたる科学者がいます。学校の特徴は、一学年が300人しかいないこと、学生全員が何かしらの部活に入っていること、部活ごとに別れて寮生活していること、最初の一年は軍での訓練があることです。同じフランス国内トップの学校であるENSとエコール・ポリテクニークの違いは、ENSはどちらかというと研究よりで、エコール・ポリテクニークはエンジニアとしてのジェネラリスト的な能力を求められるところだそうです。そのため、どちらがフランスで一番の学校か比べることはできないみたいです。また、エコール・ポリテクニークは近年、従来の2年間のプレパを経て入学するグランゼコールに加えて、日本と同じようなバチェラーとマスターのコースを新設しました。バチェラーのコースはフランス人だらけのグランゼコールのコースとは違い、世界中から学生が集まり、授業は英語で行われます。そのため、フランス語ができない私はそのバチェラーのコースに留学することになりました。よって、私はラグビー部の寮には住めず、バチェラーの寮に住むことになりました。また、バチェラーのコースは、数学・物理・経済・CSの授業しかなく、工学部物理工学科の私は渋々、物理を選択することになりました。工学部の私にとって、物理コースの授業は抽象的かつ難しく(特に素粒子)入学早々、学力の差を実感しました。生活面ではキャンパスがパリではなく、パレゾーと呼ばれる、パリから電車で1時間ほどの山の上にあります。また近所にスーパーが徒歩20分くらいのところに1つだけで、しかも通常のスーパーより値段が1.5倍ほど高いです。日本人交換留学生はバチェラーに私だけで、グランゼコールのコースに東大から2人だけと少なく、フランスに来てすぐ私はひどいホームシックに陥りました。そのため親切な京大ラグビー部OBの方に、フランスに住む日本人を紹介してもらい、その方にフランスで生き延びるため買い物やご飯に連れて行ってもらいました。他にも沢山の仲間(特に同期の五十嵐)に時差7時間の中電話してもらい、また親切な日本人学生と教授にご飯を誘ってもらうなどして、なんとか立ち直りました。とても感謝しています。しかし、今回のブログはエコール・ポリテクニークのラグビー部について書くので、留学の苦労話は別の機会にしたいと思います。
【第ニ章】
バチェラーに、ラグビー部はない?
第一章で書いたように、私はエコール・ポリテクニークのバチェラーのコースに入りました。実は、バチェラーとグランゼコールの学生は、キャンパスは同じ場所にあるものの、ほとんど関わることがありません。また、バチェラーはバチェラー内でスポーツのコースがあり、基本的にその中から選ぶ必要があります。最悪なことに、バチェラーのスポーツのコースにはラグビーがありません。そこで、私は学部生の世話役的な事務員の方に相談しに行きました。彼女から、バチェラーの学生の中に1人だけ、グランゼコールのラグビーチームに属している学生がいると教えてもらい紹介してもらいました。これが私の留学生活の転機になりました。早速、私は彼にメールを送りました。すると「今日の夜会わない?」と返事が返ってきました。その日の夜、待ち合わせの場所に行き、私の前には現れたのは背が高く、シャツの上のボタンを3つほど開けて胸元が見え、香水の良い匂いのする、スリムで、若い頃のレオナルド・ディカプリオの以上のイケメン、歩いているだけで女の子に話しかけられていた、フランス人男性でした。彼は小さい頃からラグビーをしているラグビーエリートで、その実力を買われて特別にグランゼコールのチームに入れてもらっているみたいでした。また、チームの司令塔であるスタンドオフとしてAチームで試合に出場していました。私も一応、ラグビーは10年ほど経験があったので、実力は十分(?) だと、なんとか彼を説得し、ラグビー部のキャプテンを紹介してもらい、ラグビー部の練習に参加できることが決まりました。指定された時間にグラウンドに行くと、沢山の学生がいました。実はラグビー部は110人ほどの部員を抱える巨大な組織でした。そのうち40%くらいは初心者で、女子部員も15名ほど在籍しています。また、コンタクトがない練習は女子部員も一緒に混ざって練習します。練習は週に4日で、月火水は10:30-12:00、木曜日に試合があります。もう少し正確に説明すると、10:35くらいに遅れてグラウンドに集まって、12:00きっかりに練習が終わり、速やかにみんな寮に帰ります。また、土日に練習がないのは、休みを大切にするフランス人らしい文化だと思いました。学生は基本的に週に3回の練習の参加が強制で(実際あまり守ってない) 、十分な人数で練習することが可能です。また外部のコーチが私が観測するだけで5人おり、基本的に彼らの指示に従って練習を行います。宇治グラウンドほどクオリティは高くありませんが芝生のグラウンドも3つあります。京大ラグビー部ほどラグビーに打ち込める環境ではありませんが、授業と研究インターンとラグビーの3つを両立したい私にとっては、うってつけの環境でした。しかしある大きな壁がありました。それは私以外の学生はフランス人であり、練習は全てフランス語で行われることでした(あたりまえ)。
【第三章】
「なんでラグビー部なんかに入ったの?」
フランス語をほとんど喋れない状態で渡仏した私は、練習中でのコミュニケーションにとても苦戦することになりました。まずコーチの言っていることがわかりません。そのため、練習内容は周りを観察して理解する必要があります。また、選手と個別で話すときは英語で話してくれるので困りませんが、選手で集まって話すときはフランス語なため、何について話しているかさっぱりわかりません。またサインプレーやラインアウトのサインも全てフランス語です(あたりまえ)。またフランス語をうまく喋れない私は、チームで浮いてしまいました。練習後みんな食堂へ行くのですが、私は誘われませんでした。それでも90分間の練習は勉強のリフレッシュとしてはちょうどよく、参加できる練習はすべて参加していました。そんな中、学内の最大のスポーツ大会であるCoupe de l’Xが10月中旬に開催されました。Coupe de l’Xではパリ付近にある大学の学生が一堂にエコール・ポリテクニークに集う大きなスポーツのお祭りで、さまざまな種目で競い合います。ラグビーは7人制の大会が開催されました。エコール・ポリテクニークからは、AからCチームまで参加することになりました。もちろん足が遅く、俊敏性もない、プロップの私はCチームのリザーブにも入れませんでした。しかし試合は見に行こうと午前中グラウンドに行きました。グラウンドはとても盛り上がっていました。花火のカラフルな煙が漂い、スピーカーでEDMとラップが流れていました。私はラグビー部員と全く馴染んでなく、気まずかったので他の部員から少し離れたところで試合を1人で見ていました。そんな時、Aチームで試合に出る予定の同じバチェラーの彼が私の元にやってきました。「せっかく、日本から来ているのに、この大会に出られないのはとても残念だ。私がコーチに説得して君が試合に出られるように言ってくるよ。」彼はそう言ってコーチのところに行ってしまいました。ちょうどその時、Cチームのリザーブの子が怪我をしました。その分枠が空き、私はCチームのリザーブとして初めてエコール・ポリテクニークのジャージの袖を通すことになりました。試合は2試合出て、どちらも負けましたが、一生の思い出になりました。それに対して、Aチームは予選を順調に勝ち進み、決勝の舞台でフランス2番目の大学であるライバル校とあたりました。彼らの中には同じプレパ(準備学校)に通っていた顔見知りが多く、東大戦のような雰囲気でした。結果は惜しくも1トライ差で負けてしまいましたが、試合後はみんなでビールをかけ合い、一緒にラグビー部伝統の歌である「le petit doigt (小指)」を歌いました。歌詞を載せたいのですが、不適切なので載せることはできません。その後、学内にある学生運営のバーに行き、一緒にビールを飲みました。その夜はその後、大きなパーティが学内であったみたいですが、疲れきった私は寝てしまいました。この日を境に、少しずつラグビー部員との距離が縮まったような気がします。例えば、グランゼコールの学生のみが参加できるグランドホールという大きなホールで行われる全生徒が集まるディナーにバチェラーながらこっそり招待してもらいました。そのディナーの中で驚いたのは、ラグビー部員がビール瓶の蓋やペットボトル、時折ビール瓶を投げ合っていたことでした。また、ディナー中いきなり部員全員で椅子の上に立ち上がって「le petit doigt」(不適切な歌詞)を歌い、周りの学生は完全に呆れている様子でした。もともと、ほかのスポーツセクションの学生から、ラグビー部の飲み会の場での破天荒なエピソードを聞いていましたが、聞くのと体験するのでは大きな違いでした。そんな野蛮なラグビー部に飽き飽きしている学生から、「なんで、ラグビー部なんかに入ったの?」と言われた私でしたが、そんなラグビー部の雰囲気が大好きなので、個人的には楽しい時間でした。またその後、部員にラグビー部の寮にも連れて行かせてもらい、何人かの部屋にお邪魔しました。部屋には、ずらりと歴史の本や物理学と化学の資料があり、飲み会ではあんなに暴れていたのに、みんなフランスの未来を支える若者なのだと感心しました。
【第四章】
リーグ戦初戦
11月初旬、フランスにもリーグ戦が始まりました。実は、フランスでは大学スポーツとしてのラグビーはそこまで人気ではなく、地域のラグビーチームが盛んで、エコール・ポリテクニークはそこまでレベルの高いチームではありませんが、ユニバーシティリーグの1部に属しています。しかし、110人もいればジャージをもらうのはそう簡単ではありません。私は、リーグ戦に1試合でいいからリザーブで入れたら良いなと思っていました。初戦の2日前にキャプテンからメッセージが届きました。届いたフランス語のメッセージを翻訳してみると「フォワードのけが人が多いから、明後日のリーグ戦でないか?」とそこには書いてありました。そして2番フッカーのジャージをもらいました。また本来は正規のグランゼコールの学生しかもらえない、非売品の公式戦用ソックスをプレゼントしてもらいました。高々、2ヶ月間でしたが真面目に練習に参加してよかったと思いました。そして迎えたリーグ戦の前日、その日は2部練でした。夜の練習が終わった後、キャプテンが部員を集めてみんなで肩を組み、リーグ戦に対する熱い思いを語っていました。フランス語初心者の私は「Demain, c'est le premier match du… (明日はリーグ戦初戦)」くらいしか聞き取れませんでした。しかし、キャプテンの熱い思いは受け取りました。リーグ戦当日はバスでパリのグラウンドに向かいました。バスの手配がうまくいってなく、予定時刻よりだいぶ遅れてグラウンドに到着し、あまりアップができないまま試合が始まりました。 初戦でみんな気合が入っていましたが、すぐに絶望にかわりました。相手チームがべらぼうにうまく、とくにフォワードの何人かは体格、スキルともにレベルが違いました。試合は惨敗70-0で負けてしまいました。後から聞いたところ、今年は相手チームの仕上がりが異常だったらしく、地域の上位のクラブチームでプレーしている人たちが相当数紛れていたみたいでした。みんな「C’est pas normal!(普通じゃないよ)」と文句を言っていました。試合に負けたので「le petit doigt」を歌うことなく、しょんぼり大学へ戻りました。その日の深夜に部員の一人に誘われて学内のバーに行きました。彼は地域のクラブチームでもラグビーをプレーしているらしく、エコール・ポリテクニークのラグビーの環境じゃ物足りないと不満を言っていました。私は京大ではラグビー嫌いのアカンタレキャラでしたが、エコール・ポリテクニークのラグビー部ではラグビー好きまじめキャラで通っているので、二人で飲みながら熱い会話をしました。話の中で、相手チームが私のキャリーをほめていたことを聞いて、少し嬉しくなりました。また、そのとき地域のラグビークラブの練習に誘われました。正直怖いですが、一回だけ練習に参加してみようと思います。
【最終章】
交換留学の勧め
最後に、京大ラグビー部のみんなに、世界的トップクラスの大学に交換留学して国外でラグビーをすることをお勧めします。交換留学は渡航の一年前から準備を始める必要がありますが、学費を通常通り京大に納めれば、受け入れ先の大学に学費を払う必要はなく、交換留学先で取得した単位は京大の単位と交換でき、給付型奨学金も貰え、就活でも有利になります。応募に必要なものは英語のスコアくらいで、それほど高いGPAも必要ではありません。交換留学のメリットはたくさんありますが、ひとつは世界トップクラスの大学だと、学業面で自分の世界での立ち位置を確認することができることだと思います。また、ラグビーを交換留学先の大学あるいは地域のクラブチームでプレーすることで、新しい視点と仲間を手に入れることができます。さらに、交換留学先で出会った学生が、今度は京大に交換留学し、日本のリーグ戦ないしは、定期戦に出てもらい日本の大学のラグビー文化を体験してもらうことも可能であると思います。最終的には、京大ラグビー部員とプレーしたことがある国籍豊かな社会人が世界中に誕生し、一緒に仕事をし、酒を飲むのが私の野望です。京大ラグビー部のみんなは、私よりラグビーのスキルも知識もあるので、交換留学先でも間違いなく活躍できると思います。言語勉強しましょう!もし興味のある部員(特にフランス)がいましたら、私に連絡をください。私はこれまで、留学に関してたくさんの方に助けてもらいました。その恩返しとして、何か留学に関してお手伝いができるかもしれません。
次は最近、MOMを貰いまくっている新家くんです。大学の授業は不真面目に参加するのに、圧倒的センスでサクッと演習問題を解いちゃうところに、時折度肝を抜かれます