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2025

書かねば

どうも、筆が進み過ぎて止まらなくなった結果二週間に渡りブログの更新をせき止めてしまっていた土屋です。―いや、やっぱり嘘は良くない。本当のことを正直に話そう。実のところ、新家君から紹介を受けた「土屋樹一郎」と今この文章を書いている「土屋樹一郎」とは全くの別人物である。確かに前の「土屋」は、「今すごく調子が良い。超大作が出来そう」などと豪語していたようであるが、残念ながらその時彼が抱えていたアイデアがこのブログの中で披露されることはない。今の「私」には、もっともっと重要で、切羽詰まった、他ならぬ「私」のためにどうしても書かざるを得ない事柄があるからだ。以下はそんな「私」による、独り言、ならぬ「独り書き」である。決して他人様に見せるようなものでないことは重々承知の上だが、どうして「私」が「土屋樹一郎」になるに至ったかの経緯も拙筆ながら記してある。生まれ変わった「土屋樹一郎」の自己紹介代わりにはなろう。




物心ついた頃から、ずっと、言い様の無い居心地の悪さを感じていた。私の目に陽の光はあまりに眩しく、その光に否応なく照らされて、何処か後ろめたい気持ちに襲われるのが不幸なこの私の常であった。空気の良く澄んだ晴天の朝方などはことさらに億劫である。光が私を強く照らす程、私の心に濁る黒いものが、よりくっきりと、より深みを増してその姿を現す。私にとって影とは、雪ぎ切れない恥の名残である。

影はいつも、私を見ている。


雨は良い。あれは良く私に馴染む。

幸運なことに、いやもしかしたら不幸なことだったのかもしれないが、とにかく、その日はちょうど、雨だった。私は傘をさして、学校からの帰り道を歩いていた。駅前の錆びたビルから仄かに鉄の匂いが染み出してくる。雨音の柔らかな、春雨の一日であった。

見慣れた道を半ば程行ったところで、一つの水たまりに出くわした。その日は別に水たまりが珍しい程の小雨という訳ではなく、実際にそれまでの道中でいくつも同じような水たまりを目にしていたのだが、そいつが、あたかもこの先の未来を覆い隠してしまうかのように、あまりに平然と私の前にふんぞり返っているものだから、思わず足を止めてしまったのである。私はどうしてそいつを迂回する気にもなれず、ただ、無表情にそいつの顔を覗き込むことしかできなかった。その時の私にはそれで精一杯だった。

水面に映るビルの輪郭が、ひらり、ひらりと揺らめいた。私が頭上にさす傘の先っちょから落ちた一滴であった。私は何だか面白くなって、続けて傘を上下に二回程振った。ビルが笑った。体を揺らし、腹を抱えて笑っているようであった。次は少し大げさに振ってみた。何度も、何度も。今度はビルは泣いているようであった。悲しみにその身を打ち震わせ、零れ落ちる涙に溶け込んで崩れ落ちるようであった。そのすぐ手前に映る私自身も、同じように泣いていた。私は傘を捨てた。

無数の雨粒が一瞬の内に目の前の空間を満たし、ザアアと音を立てて水たまりに降り込んだ。傘に阻まれて止まっていた時間が、動き出したようであった。これが時間の速度か、と訳の分からないことを思った。水面のビルは、雨粒に打たれてとうに跡形も無く消えていた。もちろん、私も。水たまりの向こう側の世界には、もはや何物もその輪郭を残せないらしかった。


では、こちらの世界はどうだろう?


私は目線を上げた。果たしてこの世界と、水たまりに映る世界とを決定的に分かつものは在るのだろうか?

いや、何も変わらない。―少なくとも、私の目には。

確かなものは何一つなく、全てがぼやけている。結局はレンズを通して見る、自分の外側の景色に過ぎない。ちょうど水たまりの向こうのビルが笑ったり泣いたりするのと同じように、私の目を通して見るこちら側のビルは、この星の墓標の如く不気味に街を見下ろすのだ。


降り落ちる雨雫が少しずつ、少しずつ、世界を甘い憂鬱の海に浸していく。そんな光景を私は見ている。雨の当たらない所で見ている。

身体を庇に、目を窓に、その中でただ見ている。


私は私すら、見ている―。


何かが一斉に自分の体から抜け落ちていくのを感じた。いや、正確には消えたと言うべきかもしれない。それは恐らく「自我」とか、「意識」とかいうもので、「この身体は私のものだ」と言わんばかりに私の身体の内側の隅々まで根を張っていたのが、心の真ん中にあるただ一点の小さな塊を残して、忽然と姿を消してしまったのである。

私はすっかり自信を失くしてしまった。

私の名前や、私の身体や、私の過去は、本当に私のものなのだろうか?

つい数秒前の、水たまりを覗き込んでいた私でさえも、それが私と同じ存在であるのか分からない。

一体いつから、私は私だったのだろうか?




いくらかの時間が経った。未だ雨は止まず、通行人の湿った足音が私の傍を行ったり来たりしている。私だけが、止まっている。もはや完全に私のものでなくなってしまったこの身体を、一体どうやって動かせばいいのか?

私はただ立ち尽くすしかなかった。次第に焦りが募った。私はこのまま永遠に取り残されてしまうのではないかと思った。絶え間無く流れ落ちる雨が、一層私を急かした。雨が私の目の前を過ぎていった分だけ、時間が私から離れていくような気がした。


思わず願った。

頼むから、もう進まないでくれ、と―。私は、次の一秒が来ることを拒んで、ぎゅっと目を閉じた。




音が止まった。

天地を余すことなく満たしていた湿った雨音が、止まった―。音が消えたというよりは、止まったと言う方が正しかった。同時に、頭を打つ雨粒の感覚も止まった。

私は恐る恐る目を開けた。


時間が止まった―そうとしか言えない光景だった。

止まった雨。落ちるわけでも、ましてや昇っていくわけでもない、ただ初めからそこにあるだけの小さな水の塊。

止まった人。あり得ないバランスのまま固まった“急いでいたであろう”人。その濡れた髪の毛や、光沢を纏ったコートをきっと靡かせていた“風”は、もうここには存在しない。


私だけが動いている。―動ける!目を瞑る前とはまるであべこべに、世界の方が止まって、私だけが進んでいる。万歳!願いは通じたのだ。私の心は安堵と感激の渦に踊っていた。今までに置いて行かれた分を取り返すような気分で、私は一息に駆け出した。



「さて君は、一体どんな人生を送ったのかな?」

突然、背後から声をかけられた。私はぎょっとして、思わず手に持っていた読みかけの漫画を落っことした。振り向くと、同い年くらいの女の子がからかうような笑顔を浮かべて立っていた。

「いや、違うんです。これは決して万引きとかではなくて、えっと…」

私は咄嗟に弁明しようとしたが、どうやらその女の子の関心は、私が本屋から大量の漫画を持ち出して軒先で読んでいたことにある訳ではなさそうだった。

「あれ、違うな…。君はもしかして…」

女の子はそう言うと、訝しんだ目で私の全身をじろじろと見回し始めた。私は何だかばつが悪くて、彼女から目を逸らして遠くの方を見ていた。女の子が現れたことですっかり忘れていたが、空も、人も、雨も、やはり止まっていた。ではこの女の子は一体…?彼女の最初の言葉がどうも頭に引っかかる。ひょっとしたら私はもう死んでしまって…。

「うん。やっぱり。君は死んでないね」

幸い、私の悲観的な推測は彼女の言葉によって即座に否定された。

「こんな例は初めてだけど…。でも、確かにあり得ないことではないのかもね」

彼女は一人でうん、うん、と何度か頷いた後、改めて私の方に向き直った。

「よし、君が今疑問に思っていることについて説明してあげるよ。ほら、ついて来て。君にはそれを聞く権利がある」


「ここはお気に入りの場所なんだ」

そう言って彼女が私を連れてきたのは、街はずれにある小高い丘の展望台だった。彼女はベンチに腰掛け、私に隣に座るよう促した。街全体が一望できる景色と、空中で止まった雨のおかげで、巨大な一枚の絵画を見ている気分だった。時間の介入さえも許さない、その完成された堂々たる存在感に、私はしばし圧倒された。彼女はそんな私に気を遣ったのか、私の横で同じように景色を眺めていた。静寂を破った彼女の一言は、雨に溶け込んでそのまま絵画の一部となってしまいそうな程、優しかった。

「この景色を、その気持ちを、忘れちゃだめだよ。たとえ一瞬にも満たない内に過ぎ去るものだとしても―」


その後彼女と交わした会話の内容を全て書き連ねると余りにも長く、複雑になってしまうので、特に印象的だった彼女の言葉を覚えている範囲で記すこととする。先に断っておくが、恐らく私は未だ彼女の言葉を完璧に理解できてはいないし、(特に彼女の口調に関して)少なからず私の彼女に対する理想や願望が入り混じっていることは許してもらいたい。私の記憶によれば、彼女が喋ったのは大体次のようなことであった。


「まず一つ君の、いや君たちの認識を正しておきたい。君は“時間が止まっている”と思ったかもしれない。でも、それは違う。そもそも“時間”なんてものは錯覚だよ。この“止まった”世界こそがありのままの姿なのさ」

「つまりさ、君たちが知るところの、コマ送りのアニメやパラパラ漫画のようなものを想像すればいい。この“止まった世界”が無限に続いていて、君たちは一つの“止まった世界”から、1秒先、もしくは0,1秒先…いや0.00001秒かもね…まあ君たちの単位を用いてどれくらいかは分からないけど、とにかく“次の瞬間の世界”へとジャンプしていくんだ。そのジャンプの間隔が、全く気にならない程に短くなれば、世界が動いている、という錯覚が起こる」

「あ、ここで言う“君たち”ってのは意識の話ね。魂って言った方が簡単かな。体、もとい物質世界が先にそこに在って、その中をそれぞれの魂が、言わば“通り過ぎ”ていくのさ。そしてその“流れ”のことを君たちは時間と呼んでいる。つまりさ、時間とは君たち自身のことなんだよ」

「ふふ、少し一気に喋りすぎたかな。うん、じゃあ次の話に移る前に、質問タイムを設けよう」

「なるほど…最初にその質問をするとは、君は案外ロマンチストだね。でも、自分たちの未来がすでに決定しているとして、何か問題があるのかな?未来が定まっていようが、そうでなかろうが、君たちが未来のことを知り得ない以上はどちらも同じことだろう?少なくとも君たちにとっては」

「ふふ、少し意地悪だったかな、ごめん。安心してくれて良いよ。君たちの“意志”はちゃんと存在する。君が聞きたいのはつまり、そういうことだろ?」

「始まりから終わりまでの全ての世界が初めから出来上がっている訳じゃない。世界は常に作られ続けている。“時間”の先頭がいる世界がいつも最新の世界なんだ。その先の世界は、“今”の君たちが何を感じ、何を考えるかによって様々な異なる形でその都度生み出される。あの人は君たちの、全てを見ている」

「ああ、あの人ってのは…つまり“神さま”みたいなものさ」

「他に質問はある?え…私の名前?聞かれたことがないから、考えたこともなかったな…。君はまったく、何というか…変わったやつだ。私のことは、そうだな…“管理者”とでも呼んでくれ。そのままの意味だよ。魂を管理する者」

「コホン、一旦次の話に移っていいかい。さっきまでのは世界についての話で、今度は君についての話。今君と私がいるこの世界は、他の魂がみんな通過してしまった後の世界だ。つまり君は、魂の流れから落っこちて、取り残されてしまった。…心当たりがあるようだね。恐らく、君の体と魂との結び付きが弱まっていたんだろう。そしてその結び付きが完全に切れてしまった時、魂はジャンプする先を失う」

「なに、魂が流れから脱落すること自体は別に珍しいことじゃない。むしろそれはゴールであるとも言える。君たちの言う“死ぬ”ってのはつまりそういうことさ。とめどなく流れ続ける“時間”と、物質の檻としての肉体から逃れ、ありのままの世界、ありのままの自分と対峙する。そこで改めて自分の存在について問い直し、次なる高次の存在への扉が開かれる」

「要するに、私たちの仲間になるってこと。“管理者”はそのお手伝いをしているのさ」

「待て待て、そう急ぐな。言ったろ?君は死んでない。それが問題なんだ。“死”は私たちにとって一種の通過儀礼。それを経験していない者に扉を開くことはできない。君は、今一度人生に帰るべきだ」

「あまり気乗りしなさそうだね。まあそうか…。魂と肉体とが互いに拒否し合っている状態ってのは、私の想像以上に辛いものなのかもね。あの人も完璧じゃない。特別相性の悪い容れ物に君を宛がってしまったようだ。どうか許してやってくれ」

「君には新しい容れ物を探してやろう。それで今までの全てが変わる…とまでは言わないが、少なくとも君を悩ませていた一番大きな問題は消え去るだろう」

「あはは、“乗っ取り”だなんて人聞きがわるいなあ。ああ、これは言い忘れてたんだけどね、全ての容れ物に魂が入っている訳ではないよ。新しく生まれた容れ物に魂を入れるかどうかは、あの人の気分次第。何だか拍子抜けだろ?気まぐれな人なのさ。容れ物だけが多くて魂が少ない時代もあれば、その逆も然り。君の生きる時代がどっちなのかは…まあこれはあえて言わないでおくよ」


私たちはその他にも色々なことを話した。私の人生の話や、彼女が“生きて”いた頃の話、好きな食べ物や嫌いなものなんかも教え合った。私は彼女に興味があった。私の心は間違いなく、彼女に惹かれていった。

「君が私を気に入ってくれているのはすごく嬉しい。でもそれには少なからずこの見た目が関係しているんじゃないかな。すでに言ったように、君は魂で、それは私も同じ。君が見ている私は、そうあってほしいと君が思う姿なんだよ。君はまだ肉体に囚われている。私の本当の姿、いや本当の形は、今の君には見ることができない」

「ともあれ、どんな形でもやっぱり嬉しいものだな。人から好意をもらうというのは。ありがとう。私も君のことが気に入ったよ。楽しかった。そのお返しと言っちゃなんだけど、君には私の使っていたやつをあげよう。くれぐれも、大切につかってくれよ」


そう言った彼女に案内された先にあったのは一体の“容れ物”だった。ちょうど私と同じくらいの年の、良く日に焼けた浅黒い肌の青年であった。

「私が暇つぶしによく入っていたやつだ。君に会いに来る直前にもね。君にぴったり合いそうだ。ほら、顔を近付けてよく見てごらん。何だかそんな気がしてきただろう?」

「どうやってこいつに入るのかだって?そんなの簡単さ。私が君を、次の世界のこいつに向けて思いっきり蹴りだす。初速さえ与えれば魂は独りでにジャンプし続けるし、一度体に入ってさえしまえば後は勝手に魂と体とが引き合ってくっついてくれるよ」

「ああ、君は勘が良いね。本当は言わないでおこうと思ったんだけど、仕方ないね。そう、時間の先頭に追い付くまでの間、君は“すでに作られた世界”を生きることになる。そこでは意志は存在せず、魂はただの観測者に過ぎない。自分が内側から自分を見ている、という意味ではやっぱり君のこれまでの辛い人生と変わらないのかもね。でも少しでも早く追いつけるよう私は全力で力いっぱい君を蹴っ飛ばすつもりだし、何より、こいつのは私の意志の“慣性”が残ってる。ちょっとばかし長い一人称視点の映画だと思えば、少しは楽しめるんじゃないかな」

「決断を急かすつもりはないよ。ゆっくり、じっくりでいいんだ。私も少し口を閉じよう。人間に本当に必要なのは、“話し合い”なんかじゃなく、“黙り合い”の方だと、そうは思わないかい?」



「覚悟は決まったようだね。…ああ、こちらこそありがとう。名残惜しいけど、これで一旦お別れだ。人生をやりきった先でまた会おう」

「心の中で5秒数えるんだ。準備はいいかい?」


私は胸に手を当てて、大きく深呼吸した。

彼女に背を向け、目を閉じる。


5、4…


しまった。最後にもう一度彼女の顔を見ておけばよかった。

小さな後悔の一滴がじわっと心に滲んだ。


3,2……


最後に聞こえた彼女の言葉はこうであった。

「いってらっしゃい。気を付けて」





こうして私は「土屋樹一郎」を引き継いだ。彼女の言った通り、映画「土屋樹一郎」は退屈しなかった。彼女が余程馬鹿力だったのか、孤独な魂の旅に寂しさを覚える暇も無く映画は終わりを迎えた。私は今度は観客から映画の中の主人公となった。そして私がまず始めにしたことこそが、このブログを書くことだった。「私」でないと知り得ないことを、「土屋樹一郎」の体を使って書くことだった。試みは成功した。私は私の「意志」の存在を証明した。

私は再び、「時間」の一部となった。


以上がことの顛末である。

みなさんもどうかお気を付けて。

くれぐれも、「時間」に置いて行かれませぬように―。



次はまたもやガソリン代が値上がりしそうな世界情勢に懐を心配してビクビク怯えてる(願望)マイカー持ち頼れる主務の金欠(願望)山口君です。


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