佐々木君から紹介を受けました、鈴木です。ヤンキーではありませんし、スクーターが1番かっこいいんだから。
今日は僕の体験から学んだ道徳を考えたいと思います。
ある日の教習所内でのことです。
当時の僕は教習も終わりを迎えようとしていました。同期の中◯君のようにはならないで1発で合格しようと気合も十分。程よい緊張感と久々の運転の高揚感。迎えた急制動。赤いコーンの間に前輪が差し掛かったその瞬間、僕は力いっぱいブレーキレバーがハンドルにつくまで握り、後輪ブレーキも全力で踏み込みました。
もちろん、大スリップ。
バイクも体も真横になりながら10メートルくらい滑りました。原因ははっきりしています。自転車と同じ感覚でブレーキを握ったことです。そうです、僕の自転車のブレーキはほぼ効きません。全力で握り続けてようやく止まります。教習車のライトは破損、着ていた白のロンTの肩部分には穴。プロテクターのおかげで腕や胴体は無事。胴体のプロテクターの境目できれいに汚れていて、そこで僕は思いました。
プロテクターがなかったら右乳〇が削れてなくなっていたかもしれない。
思考は加速する。
僕は生まれつき左乳〇を2つもっている。補充は可能だろうか。いや、そんなYシャツのタグについている予備のボタンのようなものではない。しかし、合計は一緒であるのは不幸中の幸いだ。
ここで、ある歌が頭によぎる。3股優里のビリミリオンという歌。
「(老人)残りの寿命を買わせてよ50年を50億で買おう
(略)(僕)生きている時間は50億以上の価値があるでしょう生きているだけで丸儲け」
「(老人)それなら倍の100億だそう。
(略)(僕)50年が100億ならば年収2億の大富豪だ。でも、僕が生きている時間は100億以上の価値があるでしょう。」
さて、ここでシンプルな疑問が生じます。
あなたが、50億で乳〇を売ってほしいと老人に言われたらどうしますか。
また、100億、すなわち乳〇の年収は2億、で頼まれたときあなたならどうしますか、と。
次は、広報のポスターとかインスタのクオリティがすごい2回生MGの橘さんです。5月末、事務連絡でようやくLINE追加しました、今まで申し訳ございません。