どうも、最近よくイライラする野澤です。僕は決して失恋したからイライラするような小さい男ではないのですが、卒論やら何やらで心がキャパオーバーしてるのか、些細なことでイライラするようになっちゃいました。でも最近治ったのでもう大丈夫です。ちなみに、最近の悩みは人と話してる間に何喋ってたか分からなくなること、ミーティングとか集合で人の名前を忘れること、ラグビー16年目にしてランギの動きが永遠に覚えられないことです。もらったヤクルト1000で治るかなと思ったのですが、調べたらヤクルト1000にはそんな効果はないっぽいので、引退したら脳みそに優しい生活をしようと思います。
最後のブログということで後輩に何かを伝えなくてはという責任感の元、僕の身に今年起こった研究室に纏わる一連の出来事を戒めとして書き残したいと思います。
僕の薬学部では、4回生から研究室に配属され教授の屋敷しもべ妖精として使われるのですが、大体は本人の第一希望通りの研究室に配属されそのまま院進する人は院試で同じ研究室を志望して修士になります。ところが僕は第一希望の研究室には行けず、院試で今配属されている研究室とは違う所を受験することになってしまいました。ぴえん。
何故4回生の時希望通りに行かなかったのか。結論から言うと成績(GPA)が悪かった、これに尽きます。それぞれの研究室には人数の枠があり、あぶれるとGPAが高い人から順に割り当てられアホは弾かれます。全ての始まりは1回生の頃からでした。80人いる学部の中で12人程友達が出来た僕ですが、学期が終わる度にみんなでGPAを確認し合っていました。その12人の中では中位くらいだったし、なんとか単位も取れてたし、人数的にも12/80だし、まあこんなもんかと大丈夫だろうと過ごしながら迎えた3回生。今思えば井の中の蛙でした。学部全員のGPAが公表されてなんとびっくり僕達のグループ10人ほどが下から15番目くらいまでの間に固まっていたのでした。
ここまで来ると、上位の人と希望が被らないように祈るしかありません。学部の誰がどの研究室を希望しているのかもスプレッドシートで確認できるようになっているので、毎日希望する研究室の枠が余っているかどうかドキドキチェックしてました。希望の提出の締切を控えた2月まで、行きたい研究室がないない言いながら苦心する友達を横目になんとか僕は希望研究室の最後の一枠を掴んでいました。なぜ枠が空いてたのか、それは研究室が宇治にあるからです。
薬学部の研究室は大半が吉田にありますが、宇治にも4つ研究室があります。大体みんな宇治は吉田から遠いし周りに何もないしで敬遠するのですが、僕は家から宇治の方が圧倒的に近いしグラウンド近いしで、宇治万々歳でした。教授に見られてもいいように一応真面目なことも書いとくと、生物系のことがしたくてたまたま宇治にその研究室があったというのもあります。こんな感じでアホでも意外と何とかなるもんやと思ってたその時悲劇が起きたのです。志望提出を1週間後に控えたある日、1通のLINEが。それはスプレッドシートを管理してる友達からのLINEで、僕の第一希望研究室に変える人がいる、直前なので連絡したという旨でした。誰だそんな奴はと思ってみると何と学年6位。勝てるハズがありません。呆気なく僕は追い出され、もう一つの宇治の生物系の研究室へと行ったのでした。チャンチャン
このもう一つの研究室というのが実は過去に一悶着あった研究室でした。薬学部では、3回生の秋頃に教授と連絡を取って研究室見学に行きます。その折、時間を取っていただくのも悪いと思いメールで短時間でいいのでとその研究室の教授に連絡した所、短時間で何が分かるのか、やる気はあるのかとお叱りを受けるというやりとりがあったのでした。その為教授の僕に対する第一印象は最悪、そんなところでした。色々と教授と話した結果(円満)、院試では元の第一希望の研究室で院試の志望を出すこととなり、1年契約となった僕の4回生の研究室生活が始まりました。
こんな感じで色々とありました。後輩にはちゃんと勉強してGPA取って希望の所に行って欲しいと思ってたのですが、最近聞いた他の学部の知り合いの話では、他学部の配属決めはどうやらGPAではなく話し合いで決めてるらしいのであんまりGPAは関係ないかもでした。なんせ薬学部の先輩も後輩も代が被る頃にはいなかったので、このブログを読んだまだ見ぬ高校生の将来の薬学ラグビー部生が同じ過ちを繰り返さぬよう祈るばかりです。
さて、こうして配属された研究室はいざ行ってみると、准教の人が元ラグビー部、4人いる先生が全員大学の時スポーツ経験有で、その内3人が元体育会というバリバリゴリゴリ研究室でした。中国の留学生が殆どでバリバリ英語使わないと行けないこと以外は素晴らしく、実験が少なめな研究内容の性質上拘束時間も薬学部の中では(ココ重要!)トップクラスに短く、部活への理解もしてくれる僕にとって神のような研究室でした。教授や先生方ともリーグ戦を観に来てくれるくらい仲良くなり何不自由ない研究室生活を送ることが出来ています(卒論は普通に忙しいですが)。本当に感謝です。
ちなみに院試の結果はと言うと、これまでの話の流れ的に、今年受けた院試が落ちてくれればいい感じのオチになったのでしょうが、現実は甘く受かってしまいました。ついでに院試の出来事を1つ。院試には面接があり真面目な学生は服装もしっかり考慮して当日試験を受けるのです。服装の割合はスーツ3割、長ズボン6割、その他1割といったところでしょうか。そこの所余り考えていなかった僕は、夏やし暑いしで半袖半ズボンサンダルで面接を受けてしまいました。面接で、何故成績が悪くて希望通り行けなかったのか、と聞かれた僕が、苦し紛れに部活ですかね〜と答えたところ、僕の半袖半ズボンから見える黒い日焼けに興味を持ったのか、何の部活をしてるのか、と聞かれました。実はラグビー部でまだ活動していて4日前まで合宿してました!と答えると、冗談通じなそうな部屋の教授全員が何故か爆笑して褒めてくれたので気分が良かったです。
最後に。合宿とありましたが、9日間の菅平を5日目とかいう丁度いい所で途中下山してしまいすみませんでした。謝罪と感謝の意を込めて、次の紹介に参りたいと思います。次は、1日後に院試落ちる根鈴です。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
*更新*
ブログの提出が1日遅れてしまったので、改めまして、院試に落ちた根鈴です。