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2025

僕にイベントを与えてください。

ちえぼーから紹介を受けた中村です。2年間で30キロ近く増量してしまいました。地元に帰ると、毎回にように別人であるかのように思われます。入院の時の血液検査で良くない結果になったので、これを機に絞っていこうと思います。

さて、今年を振り返ると僕に起きた出来事はほとんどなく、バイクで西日本1周したこと(ひたすらバイクを運転しただけ)、日々の実験に追われたこと(なんかいろいろいじくっただけ)、アキレス腱を切って入院したこと(ただ寝るだけ)だけです。本当にこの半年間はこれだけしかやることがなく、書くことがありません。

そういえば今年は世界水泳があり、テスト週間に見ていました。水泳の試合はほとんどが選手紹介で、泳いでいる時間は短く、勉強の妨げにあまりならないだろうと思い、徹夜するついでに見ていました。僕は6歳から高校までずっと水泳をしていたのですが、このことについて多くのことを語ったことがないのを思い出したので、水泳部時代のことを書こうと思います。

僕はただスイミングスクールと家の距離が近いというただそれだけの理由で水泳を始めました。小学2年に上がるタイミングで、選手コースを紹介されて小学6年の時に1番上のコースに上がりました。1番上のコースでは日曜日がオフで平日が19時〜21時、土曜日が朝の7時〜9時でした。日曜日はほとんどが試合か県や市の練習会だったので、ほぼオフはなかったと思います。この生活を5年近く続けていたと振り返ると我ながらよくやっていたなと思います。

基本的に練習は2時間で5000から6000メートルほど泳ぎます。フィットネスが嫌いな僕ですが、もちろん水泳部時代も大嫌いでした。というわけで僕の嫌いなメニューを紹介します。第3位は200×10本でクロールと個人メドレーを交互に泳ぐというものです。クロールが2分30秒、個人メドレーが2分40秒サイクルでひたすら泳ぐというもので、とにかくしんどかった記憶があります。第2位は50×40本サークル60秒で200メートルのベストタイムの4分の1のタイムを切って泳ぐというメニューです。僕の専門はバタフライで自己ベストが約2分だったので、40本30秒で泳がなければなりません。普通に無理でした。第1位は200×5本で200メートル自己ベストから+10秒で泳ぐというメニューです。そもそもバタフライで200メートル泳ぐという行為自体がきついのにさらに全力で泳ぐというのはかなり厳しかったですね。どの種目も体力を使い切っても泳ぎ続けることはできるのですが、バタフライだけは永遠とサイドレイズをしているかのように肩が燃え始めて、フィットネスが持ちません。

僕はこの半年間でええ体を手に入れて異次元のフィットネスを手に入れて帰ってくると計画しているので、越智やつかさと勝負する日を楽しみにしています。

次はアグレッシブな運転で話題のこーじろーです。こーじろーによると、サイドミラーはあってないようなものらしいです。


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