お世話になっております、山本です。げんとが言っていたパーマなのですが、元が直毛すぎたのもあって、初めましての人にはちょっとクセっ毛の人かなと思われるくらいのかかり具合に落ち着きました。それでも自分ではセットがめちゃくちゃ楽チンになって大満足です。
さて、今回のブログはKIURFCのブログとしては珍しく、かなり堅苦しいものになります。僕がここに執筆するのもこれが最後なのでご容赦ください。このブログはKIURFCの後輩たち、またこれからKIURFCに所属するまだ見ぬ後輩たちに捧げます。今はよくわからなくても、このブログを読んだ君たちが将来どこかでふと思い出してくれたら嬉しいです。
今回何を伝えたいか、端的にいうとタイトルの通り「光たれ」です。君たち一人一人が光であってほしいということです。
人はみな光の特性と闇の特性をどちらも持っていると思います。誰しもがどちらとも持っており、その割合は人それぞれだと思います。光の特性とは、例えば抽象的には「他者を思いやる心」「献身性」「誠実さ」「理性」など、具体的なところを挙げると「嘘をつかない」「悪口を言わない」なんかが出てくるかと思います。闇の特性はその逆、「自分勝手」「他者を利用する」「恨みつらみ」「欲」「嘘」「悪口」などでしょうか。このふたつの特性、人間はどちらとも持っていて、その割合が日々変わっているのだろうと思います。そしてこの光と闇はご想像の通り伝染します。君の光は他者に光を与え、君の闇は他者に闇を与えます。当然、人と深く関われば関わるほど、その影響は大きくなります。
みなさんご存知の通り、僕は人と関わるのが好きです。その分いろんな人の光を感じてきたし、いろんな人の闇を感じてきました。そんな僕がこれまでの二十年余りで大きく反省していることは、人の闇と大きく関わって自らの闇をふくらませてしまったことです。闇の力は本当に強大です、積年の恨みが人を怨霊にしてしまうほどなのです。その闇の力が自分の中で大きくなってしまった結果、人と関わることが怖くなってしまったり、人間不信に陥ったりしてしまいました。
そんな中、縁あって訪れた神社で宮司さんから頂いた言葉に感動しました。「月の光のように周りを照らしなさい」とのことでした。ただ光、ではなく「月の光」。この言葉について何度も何度も考えました。僕は二つ要素があるのかなと結論づけました。「闇を優しく照らす光である」ということと「自ら光るのではない」ということです。前者に関しては、おそらくこの先も自分は闇と関わり続けるが、その中で僕は光であり続け、闇の中にいる人を優しく照らせということだと受け取りました。
そして後者に関して。僕は太陽のように自らの力で発光することはやはり難しいのかなと思いました。しかしこの宮司さんはその時こうもおっしゃっていたのです。「君は裏切る友もいたが良き友に囲まれている」と。何も自分の身の上話をこの宮司さんにはしてなかったのに、なんで見透かされているんだと怖くもなりましたが、「月の光」の話に戻ると月が太陽の光を反射するように、僕の周りには僕を照らしてくれる友がいて、その光をいただいて僕が光であれれば良い、ということかなと受け取りました。
さて長々と個人的な話をしてしまいましたが、僕が最後にKIURFCに残せる光は、ひとりひとりが光となれる手助けをすることかなと思い、このブログを書くに至りました。僕はKIURFCの全部員が光となれると信じています。ひとりひとりの顔を思い浮かべながら書いていますが、誰しもが光を持っています。バッドボーイズなんていません、バッドボーイズを自称している人たちだってめちゃくちゃ頑張っていることを知っています。みんなこのチームのために体を張れるすごい人たちです。マネさんたちもチームのために精神をすり減らしながらも戦っているすごい人たちです。
この先君がいろんな闇に遭遇したとき、どうか君自身は自信を持って光であってください。君は光であれることを忘れないでください。どんな光でもいいんです、常に眩しいほどに輝ける太陽のような光でも、僕と同じような月の光でも、真っ暗闇のなか懸命に光る蛍の光でも。時には人に光をもらいながら、人を照らし、人に光を与えられる光であってください。次第に君の周りは光であふれることと思います。
文章力が拙く、僕の伝えたいことの20%も伝わってるか自信はないのですが、あとはこれを読んだ君に任せようと思います。それぞれでそれぞれの思うように、このブログを噛み砕いてください。いつの日か、このブログがほんの少しでも君のためになったなら、これ以上嬉しいことはありません。
みんなの幸運を祈っています。それでは、お元気で。
次はえいすけです。彼のすべてを優しく包むような微笑みが大好きです。就職してもまた遊ぼうね。